『魅惑的な海』の制作背景

2006年9月15日 沖由也

■ 絵心を刺激する環境
 私が東京からこの地(高知県四万十市名鹿《なしし》)に移転したのは、平成6年(1994年)の春、55歳の誕生日のころだった。近くの双海(ふたみ)には、父・為由の墓があり、その墓を守ってくれている親戚(西尾兼義)が、“海を臨む高台”という私の希望を満たす土地を探してくれた。アトリエのそばの名鹿海岸
 移転後数年間は、私の会社・第三アートセンターの仕事をそのまま続けていたが、毎日名鹿の自然から刺激を受けているうちに、絵筆を持つ回数が増えた。
その経緯については、A−A『名鹿海岸の幻想』の解説に述べてある。

 私は、小学生時代から55歳まで、東京で暮らしていた。その間、絵は好きだったので、紀行スケッチ、イラスト、細密画、料理画などをいろいろな出版物に発表していた。 しかし、これらは、あくまで出版の仕事がらみの“図解的な製品”であって、“私の作品”として発表するものではなかった。 生活環境の変化は、私自身をも変化させる。名鹿の自然は、私の絵心を、それまで以上に刺激してくれた。実はそれが、高知県の田舎に移転した目的でもあった。つまり私のエネルギーは、経済活動ではなく、真の意味での“日曜画家”に向かうことができたのである。

■ 田舎では大きな絵が描ける
 この1部<魅惑的な海>で試みている“実験”のひとつは、「東京では描けない大きな絵」である。何しろ、敷地は400坪以上ある。ある日、私は大量のベニヤ板やポスターカラー絵の具を買い込んで、目の前の海や空を、毎日のように描き始めた。そして、現実の“風景”の中に、“魅力的な素材”を、感じたままに、どんどん描き込んでいった。実に愉快な作業だった。

 その結果、いつのまにか、“風景画”は、いわば“心象風景画”になっていた。ある人は、それらを見て、「超現実主義の絵だ」とコメントした。そうかもしれない。
私は、意図して“超現実的な絵”を描いたわけではない。ただ、この地の自然に触発されて、自然に(自動記述的に)絵筆を動かしただけである。その作法こそが超現実主義的なのだ、とはあとで気がついた。ともあれ、物理的に大きな絵(ベニヤ板はほぼ百号サイズ)に挑戦したことによって、美意識が増幅され、制作意欲をも拡大されたのだ、と感じている。
庭にある作品展示場1自宅の展示場

<180p×90pの作品を並べて展示するため、自宅の庭に、長い展示場を作る。>

■ パノラマ絵に発展
 第二の“実験”は、「もっと大きな絵を・・・・」と願ううちに、ごく自然に、それらを並べて、つなげて描くようになったことである。これも、始めから意図したわけではなく、結果として、その面白さが病みつきになった、という意味である。制作風景
 初めは、「襖(ふすま)絵」や「屏風(びょうぶ)絵」をイメージしていたのだが、延びていく画面展開が楽しくなり、工夫を凝らすようになった。ときには、「二曲一双」の間にもう1枚割り込ませて、「三曲一双」にしてみたり、初めから、「四曲一双」のテーマを決めて描き始めることもあった。かくして、「二曲一双」や「四曲一双」に始まったものが、『名鹿海岸の幻想』の場合は、いつの間にか「五十四曲一双」にまで発展してしまった。現在は、海から川をさかのぼって、『四万十川幻想』(約30枚)につながっているから、そのうちに、「百曲一双」以上、100mくらいまで延びていくだろう。自分でも、全体像がつかめない。これも、元はといえば、“大きな絵を描きたい”と思ったことが出発点である。
■ 現在進行形の絵
そういうわけで、この“連続パノラマ絵”には、終わりがない。
 @『生の表象』(32枚)やA『雪舟へのオマージュ』(20枚)にしても、何年か経てば、何枚かが割り込んで、もっと枚数が増えるかもしれない。また、C『生殖と血の匂い』(8枚)やD『生と死』(8枚)についても、今はバラバラだが、いつかは“パノラマ絵“に変化するかもしれない。その意味では、1部のシリーズ絵は、ほとんどが現在進行形の作品である。

「そんな未完成の絵を他人に見せるな」と言われるかもしれない。だから、少々自己弁護しておこう。 私はもともと、絵というものは工業製品ではないのだから、“完成”か“未完成”かの判断は難しいものだと思っている。例えば、大画家も大作曲家も、どこかで筆を止めたに違いない。その理由は、“あきらめや妥協”かもしれないし、“経済的な制約”かもしれない。理由はどうであれ、おそらく作家は、心の中で「90%納得した」という段階で、筆を止めたはずである。むしろ、そうした“完成への道のり・迷い”こそが、作品の魅力になっている、という気がする。つまり、“美は、創造の過程にあり”という気がする。
 こんな勝手な解釈からすれば、この1部でご披露する自作は、私自身が「80〜85%納得した絵」であり、だからその“制作過程”を公表してもかまわないのだ、と結論づけている。ご迷惑だろうが・・・・。

 幸い、インターネットという発表手段は、私の制作姿勢によく合っている。パソコンの画面は、いわば、“サイバースペース展示室”なのである。これは、第三の“実験”だ。
沖由也制作中沖由也制作中2最初の作品、「生の表象」の天地創造作者近影


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